友達が何人いますか?
と言われたらどこまでを友達と数えていいのかわからなくなった。
子供の頃は「ひろえちゃんでしょー、ひろこちゃんでしょー、ゆかりんでしょー」と
数えることができたし、何人と断言することができた。
ところがいつからか友達と知り合いとは違う存在になってきた。
それだけでなく、先輩とか後輩とか彼氏とか様々な肩書きのついた
人とおつきあいする機会が増えた。
そして今友達が何人いますか?と言われたら「大学時代の友達、
バイトの友達、地元の友達」と分けてカウントするようになった。
友達ってことには代わりがないんだけれども、その人たちに肩書きを
つけるようになった。それってよく考えるとおかしい・・・。
だって友達は友達じゃん!
ひとつにケータイがあると思う。ケータイのメモリーにはグループってのが
あって、それに必ず分け入れなければならない。
実は友達というフォルダは私にはない。コミュニティーの名前(バイト、
会社・・・など)に分けている。私のケータイに肩書きのない友達(知り合い?)
はいないのだ。
でも、やっぱり私(たち)がひとつひとつのコミュニティーによって
付き合い方を変えているから、というのが原因だと思う。
大学の人とはニコニコいい顔見せたり、バイトではちょっと控えめになったり、
サークルでは明るくふるまってみたり、地元の友達の前では思いっきり
わがままだったり・・・。その所属するコミュニティーによって自分の姿を
変えている。だから一口に友達でも違う友達のように思えてしまう。
きっとそれを社会学的に言うなら『適応』なのだろうけど、自分の気持ち
まっすぐに付き合えない、という事実でもある。
子供の頃は、学校の友達もスイミングスクールの友達も幼稚園時代の友達も
みんな一緒の友達で、みんな同じ付き合い方をしていたと思う。
大人になることは利口になることで、人生をうまく生きていく術を知っていく
ことだ。でも率直さを忘れることで、うまく嘘をつく術を覚えていくことでもある。
自分の気持ちを素直に現すことができて、相手の良さも悪さも理解しあえる
友達が、知り合いが、先輩が、後輩が、彼氏が、いるだろうか?
今のところそれができそうなのは、私には家族だけのような気がする。
あなたには肩書きのない友達、何人いますか?
ELPH